20世紀日本人名事典 「灰原茂雄」の解説
灰原 茂雄
ハイバラ シゲオ
昭和期の労働運動家 元・三井三池労働組合書記長;元・炭労事務局長。
- 生年
- 大正4(1915)年4月7日
- 没年
- 平成12(2000)年3月18日
- 出生地
- 台湾・台北
- 学歴〔年〕
- 攻玉社高卒
- 経歴
- 昭和10年鉄道省に入り、中国の華北交通に勤めたが、敗戦で引き揚げ、21年三井鉱山三池鉱業所へ。三池炭鉱労働組合に入り、22年大牟田在住の知識人らが組織する三池政治文化協会に参加、その活動を組合に取り込み、後の向坂教室の原型となった。三池労組本所支部長、28年全国三井炭鉱労働組合連合会事務局長。炭労の53日ストの後、英雄なき113日の闘い、経営変革闘争などに取り組み、指名解雇撤回に成功、30年長期計画協定を実現、企業内の雇用保障を勝ち取った。33年三池労組書記長、34〜35年組合ナンバー2として職場活動家の指名解雇に反対した大争議を展開したが敗北。その後も協約不調印などを指導、38年懲戒解雇され、40年炭労事務局長となり石炭国有化闘争を指導。44年から社会主義協会組織部長、のち学習部長。平成10年から社会主義協会顧問。著書に「主権在民」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報