朝日日本歴史人物事典 「無外如大」の解説
無外如大
鎌倉後期の臨済宗の尼。生没年は貞応2(1223)~永仁6(1298)年とする『延宝伝灯録』の説があるが疑わしい。出自,嫁ぎ先についても諸説あるが,安達泰盛の娘で金沢顕時の妻のひとりであったとする見方が有力である。弘安2(1279)年鎌倉に招かれた無学祖元に参禅していたことは確かで,同8年の霜月騒動で安達氏一族が滅亡し,夫も連座して配流されたのを機に,正式に門に入り得度したらしい。室町時代に京都尼五山の筆頭となる景愛寺の開山とされ,法名は無着と称したとも伝えられる。臨済宗では最初の正規の尼とみられ,景愛寺の塔頭であった宝慈院(京都市上京区)には,鎌倉時代の肖像彫刻が伝来している。なお,俗名を千代野(能)と称したとする伝承があるが,後世に生じた俗説であろう。無外如大の経歴には他にも伝承に包まれた部分が多く,開創者に擬せられた寺として,岐阜県関市広見に現存する松見寺などがある。<参考文献>『夢窓国師年譜』『仏光国師語録』,荒川玲子「景愛寺の沿革―尼五山研究史の一齣―」(『書陵部紀要』28号)
(牛山佳幸)
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