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金沢顕時 かねさわあきとき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

金沢顕時
かねさわあきとき

[生]宝治2(1248)
[没]正安3(1301).3.28.
鎌倉時代後期の武将。実時の子。初名時方。越後守。法名慧日 (えにち) 。引付衆,評定衆,引付頭を歴任。弘安8 (1285) 年,秋田城介の乱に連座して一時籠居したが,のち幕政に復帰。父実時とともに好学武将として有名。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

金沢顕時 かねざわ-あきとき

1248-1301 鎌倉時代の武将。
宝治(ほうじ)2年生まれ。金沢(北条)実時の子。評定衆,越後守(えちごのかみ)となり,弘安(こうあん)4年(1281)引付頭人。8年妻の父安達泰盛が執権北条貞時に討たれた霜月(しもつき)騒動に連座,下総(しもうさ)埴生(はぶの)荘に流されて出家。のちゆるされて執奏(しっそう)となる。学問をこのみ,書写した漢籍のおおくが金沢文庫におさめられた。正安(しょうあん)3年3月28日死去。54歳。初名は時方。通称は越後四郎。

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世界大百科事典 第2版の解説

かねさわあきとき【金沢顕時】

1248‐1301(宝治2‐正安3)
鎌倉中・後期の武将。北条氏の一門,実時の子。法名は恵日官位は越後守,従五位下。引付衆,評定衆,引付頭などの要職を歴任し,1285年(弘安8)岳父安達泰盛の弘安合戦に連座して自領の下総国埴生荘に配流された。93年(永仁1)許され執奏(しつそう)として返り咲いた。学問・信仰に篤く《春秋経伝集解》を書写伝受,仏書伝心法要》を開板した。また父実時の創建した称名寺の興隆につとめ梵鐘を再鋳した。墳墓は同寺境内にあり,その石造五輪塔から骨蔵器の青磁壺(重文)が出土した。

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世界大百科事典内の金沢顕時の言及

【金沢文庫】より

…鎌倉中期,金沢実時によって創設された文庫。武蔵国久良岐郡六浦(むつら)荘金沢郷(現,横浜市金沢区金沢町)の居館敷地内に設けられた。その時期は明白でなく,一応,実時が病をえて金沢の自邸に引きこもった1275年(建治1)ころとされている。金沢氏の居館跡は明らかでないが,現在の称名寺に隣接した西方の谷と考えられ,文庫はその後方の山際のあたりに独立の家屋として建てられた。後世この付近は御所ヶ谷と呼ばれ,文庫が設けられたと思われる東北側の小さな谷は文庫ヶ谷と称されている。…

※「金沢顕時」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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