日本歴史地名大系 「片柳郷」の解説
片柳郷
かたやなぎごう
現片柳に比定される中世の郷。片楊とも書く。建武二年(一三三五)一一月九日の橘行貞打渡状写(正木文書)に「片楊郷足立郡内」とみえ、矢野伊賀入道善久跡の同郷などが岩松経家跡代官の頼円・定順らに打渡された。これは中先代の乱で経家が鎌倉をめざす北条時行の軍勢を
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
現片柳に比定される中世の郷。片楊とも書く。建武二年(一三三五)一一月九日の橘行貞打渡状写(正木文書)に「片楊郷足立郡内」とみえ、矢野伊賀入道善久跡の同郷などが岩松経家跡代官の頼円・定順らに打渡された。これは中先代の乱で経家が鎌倉をめざす北条時行の軍勢を
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