片柳村(読み)かたやなぎむら

日本歴史地名大系 「片柳村」の解説

片柳村
かたやなぎむら

[現在地名]坂戸市片柳・芦山町あしやまちよう伊豆の山町いずのやまちよう末広町すえひろちよう

坂戸村北東にあり、北は北東流する越辺おつぺ川を隔て比企郡田木たぎ(現東松山市)飯盛いいもり川が北東へ流れる。中世には鎌倉街道が通っていた。承元四年(一二一〇)三月二九日の小代行平譲状(小代文書)には養子俊平へ譲られた小代しようだい(現東松山市)内「をつへの村」の南境として「かたやきのさかひ」がみえる。文明一九年(一四八七)二月甲斐国吉田よしだ(現山梨県富士吉田市)から武蔵国へ入った聖護院道興は「かた柳といへる所をとをるとて」として「一しほのみとりになひく糸ハけに春のくるてふかた柳かな」と詠じている(廻国雑記)。この「かた柳」を当地に比定して歌碑が建てられている。休台きゆうたい寺の過去帳に伝えられたという元亀二年(一五七一)九月二三日の紀年のある飯盛神社棟札銘写には「入西郡ノ内片柳郷長柳山妙慶寺」とある(風土記稿)

片柳村
かたやなぎむら

[現在地名]大宮市片柳・片柳東かたやなぎひがし西山新田にしやましんでん西山村新田にしやまむらしんでん見山みやま

染谷そめや村の南、大和田片柳おおわだかたやなぎ支台の南東端に位置する。東と南は見沼低地に囲まれる。台地には北・東・南から浸食谷が食込み起伏に富む。村内を大門だいもん(現浦和市)を経て越ヶ谷宿へ至る道、岩槻町を経て粕壁かすかべ宿(現春日部市)へ至る道が通る。中世には片柳郷とよばれた。江戸時代には見沼領に属した(風土記稿)。慶長一九年(一六一四)四月山下弥蔵(周勝)は徳川氏から「片柳之内」で五〇石を、寛永二年(一六二五)二月には弥蔵は同村内で四六石余を宛行われている(記録御用所本古文書)。同一六年同氏領は上知されたと考えられる(寛政重修諸家譜)。田園簿では田五五石余・畑二〇八石余、旗本大岡領、ほかに万年ばんねん寺領二〇石がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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