日本大百科全書(ニッポニカ) 「牋策雑収」の意味・わかりやすい解説
牋策雑収
せんさくざっしゅう
下級幕臣(高四十俵2人扶持(にんぶち)の御目見(おめみえ)以上)植崎九八郎政由(うえざきくはちろうまさより)が書いた政事時論の雑纂(ざっさん)の書。1801~02年(享和1~2)にかけて、第11代将軍徳川家斉(いえなり)に呈上した長文の建言書をはじめ、札差(ふださし)に関する一件、朝鮮国通信私考、琉球(りゅうきゅう)一件、「乍恐(おそれながら)御仕法」と称する言上書を収める。再々の上書により、小普請(こぶしん)組富田中務(とみたちゅうむ)支配のとき植崎は政事向きの秘密を漏らした疑いで、1804年(文化1)鳥居丹波守(とりいたんばのかみ)へ預けられ、翌年片桐主膳正(かたぎりしゅぜんのしょう)へ預け替え、07年片桐の領知大和(やまと)小泉(こいずみ)(奈良県大和郡山(こおりやま)市)で死去した。
[山田忠雄]