牛田城跡(読み)うしだじようあと

日本歴史地名大系 「牛田城跡」の解説

牛田城跡
うしだじようあと

[現在地名]知立市牛田町 中新切

猿渡さわたり川北岸高地に築かれた中世の平城跡。「牛田古記」に、源頼朝の臣大江広元が建久三年(一一九二)牛田城を築いたとあるが、当時の城は字湯山ゆやまにあって、猿渡川を背に南は碧海へきかい台地に連なり、鎌倉街道まで約一キロ、この街道を守る位置にあった。川の対岸高地に牛田村の鎮守八幡社があり、かつて源家の守護神を祀った社と伝える。境内に「鎌倉の井」とよぶ井戸があり、例祭の垢離の水および城兵の飲料水に使用されたという。知立神社神主永見家の永見氏家譜(知立神社古文書)には「嘉禎三年神主貞盛は牛田肥後守大蔵といい、牛田城を守り、翌年知立に帰る」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 きかい 湯山 古城

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む