デジタル大辞泉
「知立市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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知立市
ちりゆうし
面積:一六・七六平方キロ
愛知県の中央、三河の西端に位置する。市域は概して平坦、東西に長く延びる碧海台地と、これに平行して流れる三つの川(逢妻川・猿渡川・吹戸川)流域よりなり、市域の中を東海道が通じる。
地名の由来には諸説があり、知立神社の祭神といわれる伊知理生命の知理生からきたとする説が従来最も有力。ほかに地主神である木花知流比売の知流からとする説、茅や菅の繁茂するところから茅立と称する説、アイヌ語の湿原地を意味するチリップを語源とする説など。知立の文字は「文徳実録」仁寿元年(八五一)一〇月七日条の「知立神」が初見。「延喜式」神名帳に「知立神社」と記され、「和名抄」には「智立」郷の文字を使用する。知立神社蔵の正安三年(一三〇一)の扁額には「正一位池鯉鮒大明神」の文字が刻まれている。江戸時代には一般に「池鯉鮒」と書いたが、知立・智立・知利布・池鯉付・雉鯉府・千鯉鮒・雉鯉鮒・池里不を混用する。藤光広の「春曙記」に「池鯉鮒にて、御肴に鮒の見えければ狂歌す 此里の名に負ひたりとおさかなの料理をしたる池の鯉鮒」とあり、知立を池鯉鮒と記すようになったのは、こうした江戸時代の文人趣味によるものと思われる。
〔原始〕
知立市域で最も古い人類の形跡として、有舌尖頭器が上重原・谷田・牛田の地域で発見されている。市域の南と北をほぼ平行して流れる逢妻男川と猿渡川との二河川に臨む洪積台地の縁辺部に、縄文時代の数多くの石鏃が発見され、猿渡川とその支流吹戸川に挟まれた洪積台地の縁辺部に、縄文晩期の荒新切遺跡・祐古山遺跡・西街道遺跡が分布する。
弥生時代の遺跡には、前記遺跡のほかジグウジ遺跡・天神遺跡などがあり、この地はまた古墳時代まで人の住むところで、小針遺跡・荒新切遺跡が猿渡川流域に分布する。西中台地の西端、西街道の竹藪中にかつて一基の塚があり、これを削平した際、瓶の破片と祭器と思われる焼物および勾玉が発見されたが、この塚は発見と同時に破壊され記録も残っていない。
〔古代〕
「和名抄」高山寺本記載の碧海郡一五郷のうち、智立郷はこの市域内に比定され、依納郷もこの地に及んでいたと推定される。ことにこの地の鎮守に延喜式内社で三河国の二宮の知立神社があり、その創立は白鳳二年といわれる(知立神社古文書)。智立郷は広い範囲を含んだ地域で、知立神社がその中心であった。「三河国名所図絵」にも「千歳の年暦を経て鎮り坐す、いと恐き御神にならん」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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知立〔市〕
ちりゅう
愛知県中部,岡崎平野にある市。 1970年市制。市名は知立神社または智立郷にちなみ,中心市街地は江戸時代に「池鯉鮒 (ちりふ) 」と書かれ,東海道の宿場町として繁栄。東海道本線の通過に反対したため,中心的機能は安城に移転。豊田,刈谷両工業都市を結ぶ道路沿いに金属製品,輸送機器工場が進出し,宅地化も進んでいる。八橋の無量寿寺のカキツバタ池は有名。面積 16.31km2。人口 7万2193(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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