牛込下宮比町(読み)うしごめしもみやびちよう

日本歴史地名大系 「牛込下宮比町」の解説

牛込下宮比町
うしごめしもみやびちよう

[現在地名]新宿区下宮比町しもみやびちよう

明治五年(一八七二)に牛込宮比町が上・下に分れて起立北東江戸川、東を神楽かぐら河岸に画される地で、幕末には旗本久世家・曾我家などの武家屋敷があり、成立時には新小川しんおがわ町一丁目・牛込津久戸前うしごめつくどまえ町・同揚場あげば町などに囲まれていた。町域は延宝年中(一六七三―八一)には御家人の木村久左衛門・三島清左衛門・久松太左衛門らが屋敷を拝領していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 かぐら 神楽

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む