牧野菊之助(読み)マキノ キクノスケ

20世紀日本人名事典 「牧野菊之助」の解説

牧野 菊之助
マキノ キクノスケ

明治〜昭和期の司法官 大審院長。



生年
慶応2年12月21日(1867年)

没年
昭和11(1936)年12月24日

出生地
江戸

学歴〔年〕
帝国大学法科大学法律学科〔明治24年〕卒

学位〔年〕
法学博士〔大正7年〕

経歴
一高を経て、明治24年帝国大学法科大学を卒業し司法官試補となる。26年前橋地裁判事、28年東京麴町区裁判所判事、29年東京地裁判事、31年同部長、同年東京控訴院判事、36年同部長、41年大審院判事、44年同部長を歴任。43〜44年欧州に出張。45年京都地裁所長、大正2年東京地裁所長、9年名古屋控訴院長、10年東京控訴院長、13年大審院部長などを経て、昭和2年大審院長に就任。6年退官して、9〜11年日本大学法学部長、また潤徳高等女学校名誉校長などを務めた。明治年間の野口男三郎事件の裁判長として知られる。没後の12年、柴田義彦編「牧野菊之助博士遺稿全集」が出版された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「牧野菊之助」の解説

牧野菊之助 まきの-きくのすけ

1867*-1936 明治-昭和時代前期の司法官。
慶応2年12月21日生まれ。明治26年前橋地方裁判所判事。東京地方裁判所長,大審院部長などをへて,昭和2年大審院長となる。のち日大法学部長。昭和11年12月24日死去。71歳。江戸出身。帝国大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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