日本歴史地名大系 「犀川馬場片原町」の解説 犀川馬場片原町さいがわばばかたはらまち 石川県:金沢市金沢城下第五連区犀川馬場片原町[現在地名]金沢市中央通町(ちゆうおうどおりまち)南東の下伝馬(でんま)町から北西の油車(あぶらぐるま)町に続く通りに沿う片側町。南西の犀川新川除(さいがわしんかわよけ)町、北東の法船寺(ほうせんじ)町に挟まれた犀川馬場前に沿う。元禄九年(一六九六)の地子町の書上(「片岡孫作筆録」加越能文庫)に「馬場片原町五軒」とみえる。犀川馬場は江戸時代に藩臣調練のため設けられたもので、法船寺馬場とも称し、延宝町絵図では長さ一六八間、周囲は土居で囲われ、幅五間半、土居の高さ九尺であったという(加能郷土辞彙)。犀川大橋から宮腰(みやのこし)湊への往来上にあるところから、馬場近くに制札場が置かれていた(金沢古蹟志)。文化八年(一八一一)の金沢町絵図名帳によると通りに面して二ヵ所の出入口があり、西手口に「馬見所あり 馬場番人鶴来屋次郎右衛門」と記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by