狭原村(読み)せばはらむら

日本歴史地名大系 「狭原村」の解説

狭原村
せばはらむら

[現在地名]湯津上村狭原

那珂川右岸にあり、北は大豆田(おおまめだ)村(現黒羽町)、南は小船渡(こふなど)村。西の金丸原(かねまるはら)丘陵東麓に根本(ねもと)の集落がある。同丘陵沿いを南北に立(たつ)街道が通る。慶長七年(一六〇二)大田原晴清に加増された所領のうちに弟弥三分として「なすの内せば原」三〇〇石がある(「大田原藩領知覚書」伊藤安雄文書)。以後大田原藩領。承応二年(一六五三)の検地高人別帳(船山久三文書)によると高四六四石余、田三二町六反余・畑七三町四反余で、竈数四三軒(寺とも)。なお同帳を書写した享保一〇年(一七二五)の検地帳には竈数八四軒(寺とも)とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

東日本大震災を受け2011年6月に成立した津波対策推進法で、故事「稲むらの火」にちなみ、11月5日と定めた。江戸時代の1854年11月5日(旧暦)、安政南海地震で大津波が発生。現在の和歌山県広川町で...

津波防災の日の用語解説を読む