狭原村(読み)せばはらむら

日本歴史地名大系 「狭原村」の解説

狭原村
せばはらむら

[現在地名]湯津上村狭原

那珂川右岸にあり、北は大豆田おおまめだ(現黒羽町)、南は小船渡こふなど村。西の金丸原かねまるはら丘陵東麓に根本ねもと集落がある。同丘陵沿いを南北にたつ街道が通る。慶長七年(一六〇二)大田原晴清に加増された所領のうちに弟弥三分として「なすの内せば原」三〇〇石がある(「大田原藩領知覚書」伊藤安雄文書)。以後大田原藩領。承応二年(一六五三)の検地高人別帳(船山久三文書)によると高四六四石余、田三二町六反余・畑七三町四反余で、竈数四三軒(寺とも)。なお同帳を書写した享保一〇年(一七二五)検地帳には竈数八四軒(寺とも)とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android