湯津上村(読み)ゆづかみむら

日本歴史地名大系 「湯津上村」の解説

湯津上村
ゆづかみむら

[現在地名]湯津上村湯津上

那珂川右岸段丘上に開け、北は小船渡こふなど村、南は佐良土さらど村、西は金丸原かねまるはら丘陵。「和名抄」の那須郡石上いわかみ郷に比定され、東山道の磐上いわかみ駅家も小松原こまつばら遺跡地付近とみられている。村名は石上から磐上へ、さらに湯津上へと転訛したとされる。永正一七年(一五二〇)八月、岩城常隆・白河義永と那須資房の軍勢が「湯津神原」で戦い、岩城・白河軍は陸奥に向かい敗走したという(白河古事考)

天正一九年(一五九一)の那須与一郎資景知行目録(那須文書)に「ゆつかミ」とみえ、七九二石九斗とある。慶安郷帳では那須氏領(田二九九石余・畑二三二石余)幕府領(田一八九石余・畑七一石余)の二筆がみえる。元禄郷帳では幕府領と旗本安藤・坂本・伊沢の四給。安藤分は正徳元年(一七一一)旗本花房領となる。明治元年(一八六八)の村明細帳(永山正樹文書)によれば坂本知行分の田一六町三反余・畑一三町九反余・山野新田一六町三反余。幕府領の田一〇町九反余・畑八町九反余・新田二町六反余。伊沢知行分の田一四町二反余・畑一四町五反余・新田一一町八反余。花房知行分の田四町七反余・畑三町余・新田一町余。坂本・伊沢知行分では万治二年(一六五九)、幕府領と花房知行分では寛文五年(一六六五)に検地が行われていた。家数五〇・人数二三六、馬一五。農間には男は真木こり、女は綿稼などをする。


湯津上村
ゆづかみむら

面積:三二・四二平方キロ

那須郡北半の南端に位置し、東を那珂川、南をほうき川、西を蛇尾さび川に挟まれた三角形の地域。北・西は大田原市、東は黒羽くろばね町、南東は馬頭ばとう町、南は小川おがわ町。那須扇状地の扇端部にあたる。那珂川右岸と箒川左岸は段丘を形成して水田が開け、中央は金丸原かねまるはら丘陵で畑地山林が多い。東部那珂川に沿って国道二九四号が南北に通じ、佐良土さらど地内から北西へ国道四〇〇号が分岐する。

村域には先土器時代からの遺跡があり、とくに古墳時代の遺跡は質が高く、上侍塚かみさむらいづか古墳・下侍塚古墳と那須国造碑、酢屋すや古墳群・観音塚かんのんづか古墳・二ッ室塚ふたつむろつか古墳・富士山ふじやま古墳群などがある。那須国造碑は当村が現小川町域とともに那須国の核心地帯であったことを示す。律令制下では那須郡に含まれ、「和名抄」の同郡石上いわかみ郷は当村一帯に比定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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