狭隈郷(読み)さくまごう

日本歴史地名大系 「狭隈郷」の解説

狭隈郷
さくまごう

和名抄」所載の郷で、高山寺本では佐之万、東急本では佐久万と訓を付す。郡郷里制下、安房国が上総国に併合されていた頃(七四一年一二月―七五七年五月)の平城宮跡出土木簡に「上総国平群郡狭隈郷□丁若麻績部麻呂養銭六百文」とあり、当郷の若麻績部麻呂が仕丁として平城宮に出仕していたことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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