日本歴史地名大系 「玉滝村」の解説 玉滝村たまたきむら 三重県:阿山郡阿山町玉滝村[現在地名]阿山町玉滝内保(うちほ)村の南に連なり、黒滝(くろたき)川が当村の西北より東南に流れ、下って鞆田(ともだ)川となる。道路は近江の神山(こうやま)村(現滋賀県信楽町)から東進して槙山(まきやま)村に入り当村に通ずる道と、近江の竜法師(りゆうぼし)村(現滋賀県甲南町)から内保村を南進する道とが、当村の中(なか)ノ村(むら)辺りで合して、いわゆる伊勢道と称されて西湯舟(にしゆぶね)村に入る。「和名抄」の川合(かわい)郷に属したが、天喜六年(一〇五八)三月一九日付の伊賀国玉滝杣司等解(東南院文書)では「鞆田・湯船両郷」とあり、また保元二年(一一五七)五月付の東大寺三綱陳状案(東大寺文書)では「玉滝・湯船両郷」とあるから、この頃までに玉滝郷が成立していたと考えられる。玉滝杣の名称は、天徳二年(九五八)橘元実が先祖相伝の墓所の杣を東大寺に施入、その施入状案(東南院文書)には「玉滝杣内」と出る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by