阿山郡(読み)あやまぐん

日本歴史地名大系 「阿山郡」の解説

阿山郡
あやまぐん

面積:二五五・七七平方キロ
大山田おおやまだ村・伊賀いが町・阿山あやま町・しまはら

伊賀盆地(上野盆地)の東北部と西北部の二ヵ所に分れる。郡東北部は旧山田やまだ郡の大部分を占める大山田村と旧阿拝郡六郷のうち上野市となった印代いじろ服部はつとり三田みた新居にいのべ四郷を除く柘殖つみえ川合かわい二郷の伊賀町・阿山町で形成し、北は滋賀県、東は布引ぬのびき山地をもって北より鈴鹿郡・安芸あげ郡・久居ひさい市・一志郡に、南は名賀郡、西は上野市に接する。郡西北部の島ヶ原村は古代伊賀郡長田ながた郷の一部であったと推測される。しかし上野市長田の木根きね経塚出土の法華経の奥書に「永暦元年九月廿七日大日本伊賀国阿(拝)郡斉山(下略)」とあり、斉山は斎山ときやまで長田ときに比定され、長田郷が永暦元年(一一六〇)には阿拝郡に所属している。島ヶ原村地域も同時期に阿拝郡に入ったのであろう。東と南は上野市、西と南は京都府、北は滋賀県。東北部郡内を柘植つげ川・服部川が西流し、木津きづ川に上野市で合流。伊賀盆地の全水は伊賀川(木津川)となって郡西部島ヶ原村を貫流して京都府に入る。郡域の北東部伊賀町の一部が鈴鹿国定公園に、同東部の伊賀町・大山田村の一部が室生赤目青山むろうあかめあおやま国定公園に指定されている。

〔原始〕

先土器・縄文期の顕著な遺跡は分布しないが、大山田村の戸川とがわ山と伊賀町愛田の小波田あいたのおばたで縄文期と推定されるサヌカイト製有舌尖頭器を採取している。縄文期では大山田村の西谷にしたに遺跡で前期末から中期初頭の土器片、島ヶ原村のフカンゾウ・上小山かみこやま両遺跡から石器・土器片が出土している。弥生期の遺跡は大山田村に千戸の里せんどのさと垣内かいと東垣内ひがしかいと炊村かしきむら植野うえの鳳凰寺ぼおうじとどろき広瀬ひろせさわ猿野ましの大森おおもり出後いずご高北たかぎた平田ひらた風呂屋川ふろやがわ真泥みどろ小上野こうえの平林ひらばやしの一〇遺跡が確認される。古墳は島ヶ原村を除く郡内に二五〇基ほど確認されるが、阿山町と大山田村に顕著である。大山田村と上野市にまたがる車塚くるまづか古墳は全長九〇メートルに及び、また大山田村中村の辻堂なかむらのつじどう古墳は立派な内部設備をもち、ともに伊賀地方では珍しいものである。数基の前方後円墳以外は円墳で、阿山町域では波敷野はじきの古墳群を代表に円徳院えんとくいん大江おおえ川合に集中する。大山田村域では鳴塚なるづか古墳を含め一〇〇基ほどが集中する鳳凰寺古墳群をはじめ、中村古墳群、出後古墳群、小上野・中島なかじま古墳群、なか古墳群、広瀬古墳群、川北かわきた古墳群がある。伊賀町域では二〇基ほどが散在する。

古代住居跡は大山田村広瀬の西沖にしおき三谷みたに両遺跡、真泥の山出やまで遺跡、伊賀町柏野の的場かしわののまとば遺跡で発見されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報