王嘉胤(読み)おうかいん(英語表記)Wáng Jiā yìn

改訂新版 世界大百科事典 「王嘉胤」の意味・わかりやすい解説

王嘉胤 (おうかいん)
Wáng Jiā yìn
生没年:?-1631

中国,明末農民反乱の初期の指導者の一人。陝西府谷県の出身。1628年(崇禎1)陝西地方は大干ばつにおそわれ飢饉が発生した。こうした状況下で飢餓農民や,北辺防衛の飢えた兵士,失業駅夫,遊民らの暴動が各地で発生していたが,彼は陝西北部にそれらを一つの反乱勢力としてまとめあげた。数年後,数万に発展した農民反乱は,やがて山西に進出したが,明将曹文詔らの攻撃と,仲間の裏切りにあって王嘉胤は殺されたが,高迎祥(?-1636)があとをつぎ,反乱は山西全土に拡大していった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「王嘉胤」の意味・わかりやすい解説

王嘉胤
おうかいん
Wang Jia-yin; Wang Chia-yin

[生]?
[没]崇禎4(1631)
中国,明末の農民反乱の指導者。府谷 (陝西省) 出身の農民。天啓7 (1627) 年から崇禎1 (28) 年にかけて陝西北部に大飢饉が発生したとき,彼は仲間の飢民とともに富家食糧略奪を行い,官憲に逮捕されようとして,ついに府谷県に拠って叛し,明末の大反乱の発端を開いた。同3年3月彼を首領とする反乱軍は黄河を渡り,山西の河曲を拠点に活動し平陽一帯に進出したが,翌年政府軍の攻撃を受け,部下の裏切りにあって殺された。

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