山西(読み)サンセイ

デジタル大辞泉 「山西」の意味・読み・例文・類語

さんせい【山西】

中国北西部の省。太行山脈の西に位置し、万里の長城内モンゴル自治区と接する黄土山岳地帯。省都、太原。石炭・鉄鉱などの鉱物資源が豊富で製鉄業が盛ん。シャンシー。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「山西」の意味・読み・例文・類語

さん‐せい【山西】

  1. [ 一 ] 中国の華山以西の地。
  2. [ 二 ] 中国、河南省の崤山(こうざん)以西の地。春秋戦国時代の秦の地。
  3. [ 三 ]さんせいしょう(山西省)」の略。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「山西」の解説

山西
やまにし

志太しだ郡と益頭ましず郡をさす戦国期から江戸期初頭にかけての広域地名。年未詳六月一九日の今川義元書状写(楓軒文書纂巻四〇)に「当国山西壱所号岡田地」とみえ、義元が武田信玄の家臣武田(穴山)信友に山西の岡田おかだ(現藤枝市か)を与えている。永禄一一年(一五六八)一二月、駿府に軍を進めた武田信玄は、北条軍がさつた山に陣取ったため、久能山城(現静岡市)に釘づけとなった。こうした状況のもと、翌一二年三月一六日に武田氏は新宮神主に対して駿府浅間神社(静岡浅間神社)の供物を従来のように山西で整えることを許した(「武田家朱印状」静岡浅間神社文書)。同一二年四月下旬甲斐甲府に引揚げた信玄は、五月二三日に岡部雅楽助らに山西の情勢を報告するように要請している(「武田信玄書状」野口寛三氏所蔵文書)。信玄撤退後の駿河は北条氏政と徳川家康の支配下となり、同年七月九日氏政から大藤式部丞に宛行われた駿河の所領のなかに山西の三〇〇貫文が含まれており、うち二〇〇貫文は修善寺領、残りは藁科宮内少輔知行分となっているが、所在地は特定できない(「北条氏政判物」大藤文書)


山西
さんせい

南北朝時代頃からみえる地域呼称。鰐塚わにつか山地の山並を境として西部をさす。当時は諸県郡域の一部をさす山西の呼称に対し、宮崎郡域を中心とした伊東氏の所領をさす山東さんとうの呼称もあった。文保二年(一三一八)三月一五日と同月二三日の日付をもつ樺山資久・北郷資忠宛の関東下知状并島津道義譲状案(樺山文書)は南北朝期以降の作と考えられるが、樺山かばやま石寺島津いしでらしまづ(現三股町)なかん(現都城市)が「山西」とみえる。応永元年(一三九四)には高木氏についた北郷氏が都城を堅持していたが、「山西弥々苦々敷成行」という状況となり、高木氏は梶山かじやま(現三股町)を開城して花木はなのき(現山之口町)に移ったという(「応永記」旧記雑録)


山西
やまにし

中世には阿蘇社領南郷のうちの現西原村、菊池郡大津おおづ町地区一帯の呼称と思われる。正平七年(一三五二)二月吉日の阿蘇社上葺等次第(阿蘇家文書)には「下宮上葺次第」の一宮の屋根の裏の上葺を「山西ヨリ布田 子守 鳥子 瀬田 葺申候」とあり、布田ふた以下の四村が山西に属していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「山西」の意味・わかりやすい解説

山西(省)
さんせい / シャンシー

中国北部の省。地名のとおり太行(たいこう/タイハン)山脈の西に位置し、東は河北(かほく/ホーペイ)省に接し、北は万里の長城で内モンゴル自治区に、西と南は黄河(こうが/ホワンホー)で陝西(せんせい/シャンシー)省と河南(かなん/ホーナン)省に接し、黄河の東にあるところから河東とも称する。面積15万3000平方キロメートル、人口3196万1794(2000)。大部分を太行山脈をはじめ、恒山、五台山、呂梁(ろりょう)山、中条山などの山地が占める。南西部は汾河(ふんが/フェンホー)など黄河の支流の流域であるが、北東部は海河(かいが/ハイホー)の上流である桑乾(そうけん)河、滹沱(こだ)河の流域である。標高2000メートル以上の太行山脈によって海洋と隔絶されているため気候は大陸性で、高度の高い所は寒冷である。年平均気温は12~20℃で、年較差が大きい。年降水量は400~600ミリメートルで、北西ほど乾燥している。住民の大部分が漢族であり、そのほか回族、モンゴル族、満洲族などが居住する。省都は太原(たいげん/タイユワン)市で、そのほか大同(だいどう/タートン)、陽泉(ようせん/ヤンチュワン)、長治(ちょうち/チャンチー)などの計10地区級市と1地区があり、それらのなかに12県級市85県を含む。

 厳しい自然条件のため農業の発展は制約されている。太原盆地や大同盆地は平地も多く、灌漑(かんがい)も発達して、とくに前者では米や綿花も広くつくられているが、一般には小麦、コウリャン、アワ、トウモロコシなどが主要作物であり、北部は牧畜を主とする。解放後は山地に段々畑(梯田(ていでん))を築くなど、耕地の拡大を図っているが、昔陽(せきよう)県大寨(だいさい)人民公社の例に示されるように、安定した開発に至るには問題が多い。穀物を主とする農業が振るわないため、古くから副業が発達し、果樹栽培、牧畜が盛んであった。とくに汾河中流域のブドウ、涑水(そくすい)流域のカキなどは有名。また汾陽(ふんよう/フェンヤン)市杏花(きょうか)村の汾酒(フェンチウ)をはじめとする名酒の醸造でも知られる。鉱産資源の開発も古くから進み、石炭と鉄鉱は省内のほとんど全域で採掘され、山西鉄器は全国に広まった。現在でも石炭の埋蔵量は全国一といわれ、沁水(しんすい)炭田、霍西(かくせい)炭田などが大きい。鉄鉱は太行山脈の西麓(せいろく)、陽泉や長治の周辺に集中している。このほか運城(うんじょう/ユンチョン)市解池(かいち)は古くから塩の産地として有名であるが、現在も化学工業の原料として開発が進められている。山西省ではこのような資源や産業をもとに商業が発達し、これらの産物を流通させる山西商人の名は全国に知られ、巨額の富を築いて大都市に金融資本として進出する者も多かった。しかし近代的交通の未発達と、海岸の都市地域から離れていることから産業の近代化は後れ、今後の開発が期待されている。

 古代においては、汾河流域は、黄河下流域に発達した文明の影響を受け、春秋戦国時代にも列強の一つである晋(しん)や趙(ちょう)の所在地であった。北部は文明の発達は後れたが、北方異民族の影響が強く、南北朝時代には北朝の地方中心となり、その時代の文化遺物が残っている。しかし社会経済の中心が南方に移ってからは、全体として孤立した地域となり、近代に軍閥閻錫山(えんしゃくざん/ヤンシーシャン)の拠点となったのも、その孤立性に基づくものであった。

[秋山元秀]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「山西」の意味・わかりやすい解説

山西[省]【さんせい】

中国,華北地方西部の省。簡称は晋(しん)。省都は太原。黄土高原地帯を占め,東部は山地,北部は高原,南西は盆地よりなり,産業も地域差が大きい。気候は大陸性で雨量に乏しい。農産は汾水(ふんすい)流域が中心で,コーリャン,トウモロコシ,小麦,綿花等のほか薬材も産する。畜産では羊毛,羊皮が最も多く,鉱産は石炭(埋蔵量全国一),鉄,石膏,硫黄,塩などが豊富。近代工業では鉄鋼,機械,セメント,紡績が,伝統産業では酒(汾酒),絹織物,磁器,筆墨が有名。同蒲・石太の2鉄路をはじめ,諸自動車路が通じる。15万6300km2。3501万人(2014)。
→関連項目山西商人

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「山西」の意味・わかりやすい解説

山西 (さんせい)
Shān xī

中国本土の北部を東西に分け,山東と対称させて用いる語。その基準となる山としては華山(陝西省),崤山(こうざん)(河南省),太行山(太行山脈)などがあり,一定していない。華山と崤山とは相近く,戦国時代その東は六国(りつこく)の地域,西は秦の領土だったため,漢代では山西は後進地域と見られていた。太行山を基準とするのも古いが,その西を今日のように山西省と称するのは明代からである。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android