日本歴史地名大系 の解説
現壱所持私領高并持切在散高取調帳(私領高等取調帳)
げんいつしよもちしりようだかならびにもちきりざいちりだかとりしらべちよう
一冊
成立 一九世紀前期
原本 東京大学史料編纂所
解説 一門家や一所持とよばれ、一郷(一所)を給せられていた鹿児島藩の重臣(私領主)は、本領の郷のほかに他郷に一村のすべて、あるいはその一部の貢租収得権を知行として与えられている者も多かった。前者の村のことを持切在(持切名とも)、後者の一部貢租収得権をもつ村の知行高のことを散高とよんだ。この史料は年紀を欠くが、私領主の一人に入来院平馬(定極)がみえ、同氏が当主であったのは天保七年から嘉永七年であったことや彼らの持高(本領高)から一八三〇年代半ばから四〇年代(天保中期―嘉永期)頃に作成されたと推定できる。近世後期の私領主の持高とその内訳のほか、持切在および散高の所在する郷村名とその村高もしくは知行高が知られる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報