日本歴史地名大系 「琉球国」の解説
琉球国
りゆうきゆうこく
列島の南西端に位置した王国。琉球国は元来、日本の古代律令制に由来する国ではなく、日本とは別個に独立した小国として誕生した。一四世紀後半、中山・山南・山北の三つの王権(三山)は中国の冊封体制に組込まれ、一四二九年中山によって三山統一がなされた。一五世紀から一六世紀にかけての琉球国は琉球諸島と奄美諸島を支配領域とした。近世になると日本の幕藩制国家の支配を受ける一方、中国(明・清)とは冊封・朝貢関係を維持したが、一八七二年(明治五年)明治政府によって琉球藩とされ、七九年には日本国に併合されて沖縄県となった。「明実録」洪武五年(一三七二)条などに瑠球国・琉球国とみえる。また台湾を小琉球とよぶのに対して、大琉球とも称された(「明実録」洪武二五年五月己丑条など)。「鎌倉大日記」応永一〇年(一四〇三)条には「琉球国船六浦流来」とあり、同二一年一一月二五日の足利義持御内書(運歩色葉集)には「りうきう国のよのぬし」とみえる。また「海東諸国紀」に琉球国がみえ、ポルトガル人トメ・ピレスが一五一〇年代に著した「東方諸国記」にはレキオ人
古琉球
琉球史の時期区分では一二世紀頃から一六〇九年(慶長一四年)の薩摩島津氏の琉球侵攻までの約五〇〇年間を古琉球と総称する。これをさらに細かく区分し、一四世紀から一五世紀初めまでを三山時代、一五世紀初めから一四七〇年までを第一尚氏王朝(王統)、一四七〇年から一六〇九年までを第二尚氏王朝(王統)と名付けている。
〔神話から歴史へ〕
「中山世鑑」巻一によると王朝の起源は天孫氏にさかのぼり二五紀一万七〇〇〇年余り続いたとされるが、根拠のない伝説にすぎない。同書は「その後、天孫氏の世衰え、政を廃して、諸侯の叛く者多し、よって逆臣の利勇は、君を弑して位を奪う」(原漢文)と述べ、天孫氏の王位が利勇に奪われたのち、有徳の浦添按司尊敦が王位につき、舜天王(在位一一八七―一二三七年と伝える)となったと記している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報