今帰仁グスク(読み)なきじんぐすく

日本歴史地名大系 「今帰仁グスク」の解説

今帰仁グスク
なきじんぐすく

[現在地名]今帰仁村今泊

三山時代の北山(山北)を治めた国王居城。一四一六年に北山が中山によって滅ぼされると、以降は琉球王府から派遣された北山監守の居城となった。今帰仁城なきじんじよう跡の名称で国の史跡に指定され、またユネスコの世界遺産に登録。

〔遺構〕

グスクは大型グスクで、海に面した今泊いまどまり集落の南約一キロにある石灰岩丘陵上、標高約八〇―一〇〇メートルに位置する。一三世紀に築かれたといわれるが、詳細は不明。「琉球国由来記」に「城内上之嶽」「城内下之嶽」の御嶽がみられるほか、主郭に祀られた火神ひぬかん、「おもろさうし」一三巻に謡われた金比屋武かなひやぶなどの拝所がみられる。グスクの東側は断崖となった深い谷で志慶真しげま川が流れており、北と西側は緩やかな段丘状の地形をなす。石灰岩を積んだ城壁は野面積みで屏風形に曲線を描いて造られており、高さは六―一〇メートル、上部の幅は二―三メートル、総延長約一・五キロに及ぶ。北から西側にかけては二重に巡らされ、最も高い所では約七メートル・幅約四メートル。グスクはこの石垣に囲まれたそれぞれ主郭(本丸と俗称)志慶真門しじまじよう御内原うーちばる大庭うーみやー大隅うーしみ・カーザフなどと俗称される九つの郭からなる多郭式のグスクである。

一九八〇年(昭和五五年)からの史跡整備事業に伴って志慶真門郭と主郭の発掘調査が行われた。城内で最も東に位置する志慶真門郭は平場を造成した様子がうかがわれ、円形の炉がある平面方形の住居跡や、主郭まで続く石段、石畳道を検出し、家臣の屋敷跡であったと推定される。一三世紀後半―一六世紀の遺物が出土し、人工遺物の八〇パーセント以上が青磁白磁・元様式の染付(青花)などの中国製陶磁器で、ほかには朝鮮・日本・タイやベトナム産などの陶磁器勾玉などがある。炭化米・麦などの食物残滓もみられる。主郭では大きく四時期の遺構が確認された。第一期は土留石積みに版築の技法がみられるが、これは沖縄で初めて確認された版築で丁寧な造りとなっている。その上に掘立柱建物を建てて柵が巡らされており、一三世紀末―一四世紀初頭と考えられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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