瓜連村(読み)うりづらむら

日本歴史地名大系 「瓜連村」の解説

瓜連村
うりづらむら

[現在地名]瓜連町瓜連

久慈川右岸にあり、西はしず村。北部は久慈川流域の沖積低地肥沃水田、南は平坦な台地で集落を形成。台地のほぼ中央を南郷なんごう街道が縦貫し、宿場であった。西側を並行して水戸への街道が通る。

延元元年(一三三六)の佐竹幸乙丸代着到状写(吉田薬王院文書)に「久慈郡連」とあり、慶長七年(一六〇二)の徳川家康朱印状写(常福寺文書)に「常陸国中郡瓜連郷百石之事」とみえ、寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高に「瓜連村」とある。「水府志料」によると戸数およそ一二七。村内に「けぜう坂」があり、「里俗の説に八幡太郎義家奥州征伐の時、此地にて休足ありしに、人々献上ものありし所なり、よつて献上坂と名付しを、里人今けぜふ坂といふと云へり」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報