甘利庄(読み)あまりのしよう

日本歴史地名大系 「甘利庄」の解説

甘利庄
あまりのしよう

甘利山南東麓、「和名抄」に載る巨麻こま余戸あまりべ郷の地に成立した庄園。甘梨とも書く。平治元年(一一五九)閏五月日の宝荘厳院領庄園注文案(東寺百合文書)に「甲斐国甘利庄 前寮頭忠房 四丈白布五十段」とあるのが早い史料である。忠房は藤原家信の子で斎宮頭・左馬助になった人物で(尊卑分脈)、領家に相当すると考えられる。戦国末期の史料にみえる甘利を冠する地名には、上条東割かみじようひがしのわり北割きたのわり(上条北割)・上条中割、下条北割(現行地名なし、竜岡町地区)塩前しおのまえ大嵐おおあらし深沢(現白根町、天正一七年一二月一一日「伊奈忠次知行書立写」記録御用所本古文書)、上条南割(同年一一月二三日「伊奈忠次寺領証文写」寺記)若尾わかお(天正一〇年一二月一〇日「徳川家康印判状写」御庫本古文書纂)などがあり、これらはかつての庄域を示すものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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