日本歴史地名大系 「甚兵衛渡」の解説 甚兵衛渡じんべえのわたし 千葉県:成田市北須賀村甚兵衛渡[現在地名]成田市北須賀印旛(いんば)沼東岸に設けられた渡船場で、河岸のほとりに水神宮が祀られており、水神(すいじん)渡ともよばれた。対岸は吉高(よしたか)村(現印旛村)。当渡が有名になったのは近隣に伝わる義民木内惣五郎(通称佐倉宗吾)の伝承が嘉永四年(一八五一)に「東山桜荘子」として歌舞伎で上演されてからである。承応元年(一六五二)佐倉藩の年貢減免を訴えるため将軍に直訴を決意した公津(こうづ)村の名主惣五郎を渡守甚兵衛が雪の夜に禁を犯して対岸に渡し、自らは沼に身を投じたという筋書である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報