歌舞伎作者。5世まである。3世までが有名。(1)初世(1739-94・元文4-寛政6) 屋号新浜村屋。号東園。俳名如考,如皐。大坂の振付師市山七十郎の子。もと市山助五郎門下の若女方の役者で市山七蔵。1768年(明和5)江戸に下り,2世瀬川菊之丞門下となり,瀬川七蔵,のち乙女(おとめ)と名のる。84年(天明4)作者に転じ俳名の瀬川如皐を筆名とし,実弟3世瀬川菊之丞一座の作者をつとめ,主として浄瑠璃の作詞をなす。富本の《名酒盛色の中汲(なさけざかりいろのなかくみ)》をのこす。(2)2世(1757-1833・宝暦7-天保4) 号狂言堂。俳名文車,如皐。1779年(安永8)五百崎文治の名で初出勤。河竹新七門下となり河竹と改姓。86年(天明6)中村仲蔵に付いて大坂へ下る。江戸へ帰ってのち3世瀬川菊之丞付きの作者となり,1801年(享和1)瀬川如皐を継ぐ。変化舞踊(変化物)流行のパイオニアの一人。これといった作品はないが,古老として故実に通じ,随筆《牟芸古雅志(むぎこがし)》を書く。(3)3世(1806-81・文化3-明治14) 幼名六三郎。通称吉兵衛,馬道の狂言堂。号吐蚊(とぶん),二五壮(にごそう)。糶(せり)呉服屋を営むかたわら5世鶴屋南北に付き,1839年(天保10)絞吉平(しぼりきちべい)を名のる。翌年3世姥尉輔(うばじようすけ)の名で初出勤。44年(弘化1)4世中村歌右衛門の取立てで藤本吉兵衛と改め,さらに50年(嘉永3)瀬川如皐を継ぐ。4世市川小団次と提携して《東山桜荘子(ひがしやまさくらそうし)》《与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)》などで人気作者となる。晩年はライバルの河竹黙阿弥(当時新七)におされ,不遇のうちに終わる。浄瑠璃の作詞をよくするほか,歌舞伎種の合巻も書いた。(4)4世(1857-1938・安政4-昭和13) 本名川村太一。1897年に名跡襲名。(5)5世(1888-1957・明治21-昭和32) 4世の子。本名川村千臣。関西で活躍。
執筆者:古井戸 秀夫
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歌舞伎(かぶき)作者。5世まである。
[古井戸秀夫]
(1739―94)振付の市山七十郎(しちじゅうろう)の長男で、名女方(おんながた)3世瀬川菊之丞(きくのじょう)の実兄。初め瀬川乙女という女方であったが、1784年(天明4)俳名の如皐を筆名として作者となる。菊之丞一座の座付作者として、おもに浄瑠璃(じょうるり)の作詞を担当、富本『名酒盛色の中汲(なさけざかりいろのなかくみ)』などを書いた。
[古井戸秀夫]
(安田文吉)
(安田文吉)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
歌舞伎作者。江戸後期~昭和期に5世を数えるが3世までが著名。初世(1739~94)は大坂の振付師市山七十郎の子。俳優から作者に転じ,天明・寛政期の江戸で主として実弟3世瀬川菊之丞一座の作者を勤めた。2世(1757~1833)は初世河竹新七の門弟。1801年(享和元)如皐を継いで立作者となる。変化(へんげ)舞踊の作詞にすぐれた。3世(1806~81)は幕末期の名作者。幼名六三郎。前名絞吉平(しぼりきちべい),3世姥尉輔(うばじょうすけ)など。5世鶴屋南北の門弟。48年(嘉永元)立作者となり,50年如皐を襲名。4世市川小団次と提携して「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」などの名作をうんだが,やがてライバルの河竹黙阿弥に押され,明治期以後は時流にはずれた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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明治〜昭和期の歌舞伎作者
明治〜昭和期の劇作家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
…本名題《狂乱雲井袖(きようらんくもいのそで)》。作詞初世瀬川如皐,作曲初世杵屋正次郎,振付2世西川扇蔵。顔見世狂言《重重人重小町桜(じゆうにひとえこまちざくら)》の一番目大詰に作られ,小野小町の難を救うため,上使の前で偽の狂乱を見せる小町の父良実を舞踊化したもの。…
…この趣向が歌舞伎に入ったのは29年(享保14)《長生殿白髪金時》が初めで,所作事では62年(宝暦12)の富本《織殿軒漏月(おりどののきにもるつき)》が古い。現行の山姥物の様式が決定したのは,85年(天明5)初世瀬川如皐作詞,初世鳥羽屋里長作曲の常磐津《四天王大江山入》(古山姥)である。現在多く上演されるのは,俗に〈新山姥〉といわれる常磐津《薪荷雪間(たきぎおうゆきま)の市川》で,三升屋二三治(みますやにそうじ)作詞,5世岸沢式佐作曲,8世市川団十郎の山姥,4世坂東彦三郎の山樵,市川小団次の怪童丸により,1848年(嘉永1)江戸河原崎座初演。…
…1810年(文化7)8月江戸中村座で3世中村歌右衛門が初演。作詞2世瀬川如皐。作曲9世杵屋(きねや)六左衛門。…
…本名題《后の月酒宴島台(のちのつきしゆえんのしまだい)》。作詞2世瀬川如皐(じよこう)で,常磐津は3世岸沢式佐,長唄は10世杵屋(きねや)六左衛門の作曲。振付藤間大助(2世勘十郎)。…
…3世坂東三津五郎が踊った十二ヵ月変化《四季詠寄三大字(しきのながめよせてみつだい)》のうち,4月の部〈初鰹いさみ商人〉の曲。作詞2世瀬川如皐(じよこう)。作曲2世鳥羽屋里長。…
…三升屋二三治(みますやにそうじ)著《紙屑籠》に〈始て水船にて作り物の鯉をつかひしは,元祖菊五郎より始りて,親松緑(初世松助)つたへて梅幸(3世菊五郎)へゆづる〉と記すように,元来は尾上家の〈家の芸〉として伝えられた。脚本としては,福森久助,2世瀬川如皐(じよこう)作,1813年(文化10)7月中村座初演《短夜仇散書(みじかようきなのちらしがき)》の〈真崎稲荷の場〉で3世菊五郎の大工六三郎が鯉つかみを演じたのが著名。近代では大阪の市川右団次親子が得意芸とした。…
…3世坂東三津五郎初演。2世瀬川如皐作詞,市山七十郎振付。12ヵ月の十二変化物で,傾城,坊主,業平,いさみ商人,清正虎狩,台所唐人,田舎ごぜ,鹿島踊,木賊苅(とくさかり),雇奴(やといやつこ),鷺娘,金太郎と続く。…
…演者は2世中村芝翫(4世中村歌右衛門)。作詞2世瀬川如皐(じよこう)。作曲10世杵屋(きねや)六左衛門,3世岸沢式佐。…
…行く先々で,その土地出身者の功績や風習を語った彼らは,百姓一揆のさかんな土地で佐倉宗吾の伝記を語り,それが講談《佐倉義民伝》に形成されたと考えられる。この《佐倉義民伝》に取材した歌舞伎脚本《東山桜荘子(ひがしやまさくらそうし)》が3世瀬川如皐(じよこう)によって書かれ,1851年(嘉永4)8月江戸の中村座で初演されたことで,佐倉宗吾伝説は定着した。《佐倉義民伝》は,第2次世界大戦後の農民運動でももてはやされ,印旛沼の渡し守甚兵衛が鎖を切って宗吾を渡す《甚兵衛渡し》のくだりは多くの浪曲家によって手がけられている。…
…文久年間(1861‐64)から山々亭有人(ありんど)(条野採菊(さいぎく)。1832‐1901),仮名垣魯文などの戯作者,3世瀬川如皐(じよこう),2世河竹新七(河竹黙阿弥)などの狂言作者をはじめとする文人たちが〈粋狂連〉というグループをつくって三題噺を自作自演して流行させていたが,これに参加して落語の題材や演出法など多くのものを学んだ円朝は,落語界に新風を起こし,その地位を確立していった。1872年(明治5),新時勢にかんがみ,道具入り噺の道具を弟子円楽にゆずって3代三遊亭円生を襲名させ,みずからは扇子一本の素噺(すばなし)に転じた。…
…通称《佐倉義民伝》《佐倉宗吾》。3世瀬川如皐作。1851年(嘉永4)8月江戸中村座初演。…
…9幕。3世瀬川如皐作。1853年(嘉永6)3月江戸中村座初演。…
…
[幕末の江戸落語]
1842年(天保13)の改革策によって,寄席の数もそれ以前の120余軒から15軒に制限されて衰微した江戸落語界も,改革の中心人物水野忠邦の失脚によって制限が撤廃されるとしだいに復興し,人情噺,芝居噺が流行したが,さらに三題噺の復活から隆盛に向かった。〈粋狂連(すいきようれん)〉〈興笑連(きようしようれん)〉などの三題噺のグループが生まれ,狂言作者の瀬川如皐(じよこう),河竹新七(のちの河竹黙阿弥(もくあみ)),戯作者の山々亭有人(さんさんていありんど),仮名垣魯文(かながきろぶん),絵師の一恵斎芳幾(いつけいさいよしいく)などに,金座役人高野酔桜軒(すいおうけん),大伝馬町の豪商勝田某(春の舎(や)幾久)などをはじめとする江戸の文人や通人,落語家の初代春風亭柳枝(しゆんぷうていりゆうし),3代柳亭左楽(りゆうていさらく)(?‐1872),初代三遊亭円朝などが参加して,三題噺の自作自演に熱中した。このグループ活動を契機として,幕末から明治にかけての東京落語界の中心人物になる円朝が成長したことは意義深かった。…
※「瀬川如皐」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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