日本大百科全書(ニッポニカ) 「生坂煙草」の意味・わかりやすい解説
生坂煙草
いくさかたばこ
江戸時代、信濃(しなの)国筑摩(つかま)郡上・下生坂村(長野県東筑摩(ちくま)郡生坂村)を中心に生産された煙草。この地域は犀(さい)川丘陵の山間畑作地帯で、上生坂村でタバコ栽培が始められたのは慶長(けいちょう)年間(1596~1615)と伝える。1651年(慶安4)には上・下生坂村で13町余のタバコ畑があった。近世中期にはこの付近一帯の名産品になり、盛んに商品生産された。1763年(宝暦13)当時には、松本を通る中馬(ちゅうま)荷物の煙草は7200駄に達し、松本領から他領へ移出される物資の第1位を占めているが、その多くは生坂煙草とみられる。米作のできにくい山村の唯一の商品化作物として重視され、明治初年まで盛んに栽培されたが、その後衰退し、現在はあまりつくられていない。
[小林計一郎]
『『東筑摩郡・松本市・塩尻市誌第2巻 歴史下』(1957・東筑摩郡町村会他)』▽『宮川清治著「筑摩・安曇地方の煙草」(『日本産業史大系 中部地方篇』所収・1960・東京大学出版会)』