日本大百科全書(ニッポニカ) 「用木山遺跡」の意味・わかりやすい解説
用木山遺跡
ようぎやまいせき
岡山県赤磐(あかいわ)市の旧山陽(さんよう)町地域に所在した弥生(やよい)時代中期の集落遺跡。検出された124軒の竪穴(たてあな)住居跡は、比高約70メートルの丘陵およびその斜面や小谷の裾部(すそぶ)に立地し、全体として階段状集落を形成する。傾斜地を半月状に切り取って整形した平坦(へいたん)地に、それぞれ4~6軒の円形または隅丸(すみまる)方形の住居を営む。各段に形成された数軒の住居群は血縁家族集団で、このような支群13の結合体が一つの「ムラ」としてとらえられる。当時の集落構成の手掛りを示唆する好例といってよい。1972年(昭和47)に発掘調査が行われ、その後、団地造成によって消滅した。
[葛原克人]