田中 頼璋
タナカ ライショウ
明治〜昭和期の日本画家
- 生年
- 慶応4年8月10日(1868年)
- 没年
- 昭和15(1940)年2月16日
- 出生地
- 島根県
- 本名
- 田中 大治郎
- 別名
- 旧号=豊文
- 経歴
- 明治16年、山口県萩の森寛斎に師事したが、35年東京に出て川端玉章の門に入る。37年日本美術協会に出品した「山居水住」で銀牌を受け、41年の第2回文展出品の「鳴滝」で3等賞を受賞。大正13年の第5回帝展では審査員を務めた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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田中頼璋 たなか-らいしょう
1868-1940 明治-昭和時代前期の日本画家。
慶応4年8月10日生まれ。はじめ山口県萩(はぎ)の森寛斎にまなび,明治32年上京,川端玉章に入門。41年「鳴滝」が文展で入賞,大正5年,6年と連続特選。13年から帝展委員。写生風の山水画をえがいた。昭和15年2月16日死去。73歳。石見(いわみ)(島根県)出身。本名は大治郎。別号に豊文,頼章。代表作に「挂瀑四致」。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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