日本歴史地名大系 「田代天満宮東方遺跡」の解説
田代天満宮東方遺跡
たしろてんまんぐうとうほういせき
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
…佐賀県北東部の市。1954年市制。人口5万7414(1995)。北西部は九千部(くせんぶ)山(848m)などの脊振山地が占め,南東部は筑紫平野の一角をなす筑後川の沖積地である。《肥前国風土記》に鳥樔郷とあり,雑鳥を飼いならして朝廷に献じたことによる地名という。江戸時代には宗氏の対馬藩領と鍋島氏の佐賀藩領に分かれ,長崎街道の田代宿は前者,轟木(とどろき)宿は後者に属し,ともに繁栄した。江戸中期以後,田代では朝鮮からの原料をもとに製薬業が興り,田代売薬として知られ,1847年(弘化4)には久光製薬が創業した。…
※「田代天満宮東方遺跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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