田代天満宮東方遺跡(読み)たしろてんまんぐうとうほういせき

日本歴史地名大系 「田代天満宮東方遺跡」の解説

田代天満宮東方遺跡
たしろてんまんぐうとうほういせき

[現在地名]鳥栖市田代本町字中尾・本村

柚比ゆび町より南東に延びる中位段丘上の田代天満宮東方の緩やかな傾斜面にある弥生時代中期の甕棺墓群である。昭和四八年(一九七三)発掘調査が行われた(「田代天満宮東方遺跡」昭和四八年・佐賀県教育委員会刊)

発掘された甕棺は約一〇〇基、弥生中期前半より中頃にかけてのもので、ほとんどが同形同大の甕による合口甕棺、一部に鉢と甕との組合せがあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の田代天満宮東方遺跡の言及

【鳥栖[市]】より

…佐賀県北東部の市。1954年市制。人口5万7414(1995)。北西部は九千部(くせんぶ)山(848m)などの脊振山地が占め,南東部は筑紫平野の一角をなす筑後川の沖積地である。《肥前国風土記》に鳥樔郷とあり,雑鳥を飼いならして朝廷に献じたことによる地名という。江戸時代には宗氏の対馬藩領と鍋島氏の佐賀藩領に分かれ,長崎街道の田代宿は前者,轟木(とどろき)宿は後者に属し,ともに繁栄した。江戸中期以後,田代では朝鮮からの原料をもとに製薬業が興り,田代売薬として知られ,1847年(弘化4)には久光製薬が創業した。…

※「田代天満宮東方遺跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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