鳥栖市(読み)トスシ

デジタル大辞泉 「鳥栖市」の意味・読み・例文・類語

とす‐し【鳥栖市】

鳥栖

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「鳥栖市」の解説

鳥栖市
とすし

面積:七一・八三平方キロ

県の東部に位置し、東・南・北西は福岡県、北は三養基みやき基山きやま町、西は同中原なかばる北茂安きたしげやす両町に接する。西部は九千部くせんぶ(八四八メートル)をはじめ石谷いしだに山・権現ごんげん山などの山地で、構造谷を大木だいぎ川・安良やすろ川・ぬま川が流れ、扇状地をつくる。山麓に続いて洪積層の高・中・低位の段丘が分布し、東端を秋光あきみつ川が流れ、東・南部は沖積平野で、南端は筑後川の旧流路(現新宝満しんほうまん川)に臨む。この低地は、かつては河川の氾濫・滞水の常襲地であった。

昭和二九年(一九五四)、近隣五ヵ町村合併によって市成立の際、中核となった鳥栖町の名をとって市名としたが、鳥栖の名は、「肥前風土記」の養父やぶ郡に「鳥樔郷」とあり、「和名抄」の郷名に「鳥栖止須」とみえ、近世の鳥栖村に継承されてきた。

〔原始・古代〕

市域から先土器・縄文時代の遺物が出土しているが、遺構はまだ発見されていない。弥生時代のおもな遺跡は、北西部の高位段丘上、北東部の中位段丘上、南東部の低位段丘上および西部の朝日あさひ山周辺の中低位段丘上にある。おもに洪積層であるこれらの遺跡は前期末のものから増加し、中期から後期前半にかけて濃密に分布する。丘陵に入り込んだ細長い谷の湧水を利用して稲の水田栽培が始まり、やがて平野部へと耕地が広がり、生産の増加とともに集落も人口も増加したと思われる。

四世紀中頃の遺跡としてほん川原ごうら方形周溝墓などがあり、五世紀の古墳としては平原ひらばる古墳・太田東方おおたとうほう古墳などがある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鳥栖市」の意味・わかりやすい解説

鳥栖〔市〕
とす

佐賀県東端,脊振山地の南東斜面から筑後川流域の沖積平野に広がる市。 1954年鳥栖町,田代町と基里村,麓村旭村が合体して市制施行。中心市街地の鳥栖と田代は,古代の駅路や江戸時代の長崎街道が通じた交通の要地。江戸時代は鳥栖より北東は対馬藩田代領,轟木より南西は肥前藩に分かれ,田代と轟木は長崎街道の宿場町として繁栄。近代以降もこの地区は JR鹿児島本線と長崎本線,国道3号線と 34号線の分岐点にあたり,九州自動車道もこの付近を通る。また中央を大分自動車道と結ぶ長崎自動車道が通り,鳥栖ジャンクションおよびインターチェンジがある。第2次世界大戦後は在来の薬品工業のほかに製紙,製粉などの工業進出が目立ち,1960年代以降は道路網の整備に伴い,工業団地や商工団地の造成が相次いで,重要な内陸工業都市として発展した。田代太田古墳,安永田遺跡,勝尾城筑紫氏遺跡はいずれも国の史跡。北部の九千部山一帯は脊振北山県立自然公園に属する。面積 71.72km2。人口 7万4196(2020)。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

潮力発電

潮の干満の差の大きい所で、満潮時に蓄えた海水を干潮時に放流し、水力発電と同じ原理でタービンを回す発電方式。潮汐ちょうせき発電。...

潮力発電の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android