田名網村(読み)たなあみむら

日本歴史地名大系 「田名網村」の解説

田名網村
たなあみむら

[現在地名]葛生町豊代とよしろ

秋山あきやま川中流域右岸の平地に集落が形成され、東は正雲寺しよううんじ村、北は小屋こや村、西は山を挟み安蘇郡船越ふなこし(現田沼町)古越路ふるけいじ峠で結ばれる。中世には佐野庄に含まれた。文保二年(一三一八)四月二八日の関東下知状(武沢文書)に「多奈和見郷内田肆段・在家壱(宇)」とある。正和五年(一三一六)四月二四日、佐野顕綱は多奈和見郷の田四反・在家一宇を佐野増綱に売却した。しかし、同地は顕綱の死後佐野親綱が知行することになっていたため争いが生じ、鎌倉幕府は顕綱が同郷内の田在家のかわりに顕綱の所領のうち小見おみ(現田沼町)内在家一宇と上佐野の在家一宇を増綱に渡すよう命じている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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