日本歴史地名大系 「佐野庄」の解説
佐野庄
さののしよう
荘域は明らかでないが、現佐野・
とみえ、鳥居禅尼からその子長詮に地頭職が相伝されている。鳥居禅尼は源頼朝の叔母で第一九代熊野別当行範の妻「立田腹の女房」(参考源平盛衰記)のことで、丹鶴姫ともいう。行範の死後禅尼となり、当庄地頭職を領有したようである。その後の変遷は不詳だが、禅尼の出自から考えて新宮別当家の所領であったと考えられる。戦国時代には熊野七上綱の一人であった新屋氏(新氏・新宮氏)の領地となり、その一族の鈴木氏が支配していたが(新宮市史)、その後佐野の石垣氏が代々下司職となって佐野庄を領有し、次いで堀内氏の所領に帰したという(続風土記)。
佐野庄
さののしよう
- 栃木県:佐野市
- 佐野庄
現佐野市北部から現
佐野庄
さののしよう
佐野庄
さののしよう
佐野庄
さののしよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報