安蘇郡(読み)あそぐん

日本歴史地名大系 「安蘇郡」の解説

安蘇郡
あそぐん

面積:二七七・三〇平方キロ
葛生くずう町・田沼たぬま

県の南西部に位置。都賀つが郡と一部境界変更があり、南部に佐野市が成立したため、現在の安蘇郡は東は栃木市・上都賀郡粟野あわの町、南は佐野市・下都賀郡岩舟いわふね町、西は足利市、北は群馬県桐生きりゆう市・勢多せたあずま村と接する。旧郡域は上都賀郡足尾あしお町と、粟野町の一部を含む。足尾山地の間を流れる秋山あきやま川・はた川・彦間ひこま川流域とその扇状地とで形成され、南北に長く、大半を山地が占める。旗川は田沼町北端、群馬県境に近い熊鷹くまたか(一一六八・六メートル)の東麓を水源とし、作原さくはらで右岸に小戸こうと川を合せ野上のがみ地区・三好みよし地区を南東流し、戸奈良とならで彦間川を合流する。その後佐野市西端をやや南西流して吾妻あづま地区(佐野市)を通り、最下流で右岸に出流いずる川を合せ渡良瀬川に注ぐ。一級河川、流路延長四〇・六キロ。小戸川との合流点より上流は大戸おおと川、彦間川との合流点より上流は野上川と通称される。渡良瀬川との合流点近くの佐野市高橋たかはしには、江戸時代河岸があった。郡南東部、佐野市と田沼町の境にある唐沢からさわ(二四五メートル)は足尾山地の南端にあたる。全山赤松におおわれ、山頂付近にツツジ、桜などがみられる。一帯は県立自然公園で県南遊歩道や青年の家などがある。郡東部を東武佐野線、国道二九三号が通る。

〔原始・古代〕

先土器時代では葛生原人の名で知られる古人類の大腿骨を出土した葛生町の山菅やますげ洞窟がある。縄文時代では早・前期の土器の出土がみられる田沼町戸奈良の随岸坊ずいがんぼう遺跡、佐野市出流原いずるはら町の北の内きたのうち遺跡がある。弥生時代では、再葬墓として葛生町の上仙波かみせんば遺跡、佐野市の出流原遺跡が著名である。古墳時代では当地域最古のものと思われる五世紀前半から中葉にかけての築造とされる佐野市堀米ほりごめ町の八幡山はちまんやま古墳がある。同古墳は竪穴式石室をもつ円墳で、人骨のほか、短甲その他多数の副葬品を出土。また古墳群も数多くみられ、代表的なものとして佐野市内の米山よねやま古墳群・蓮沼はすぬま古墳群、田沼町の山越やまこし古墳群・遠原とおばら古墳群などがある。

「続日本紀」延暦元年(七八二)五月三日条に「下野国安蘇郡」とみえ、当郡の主帳若麻続部牛養が蝦夷平定の軍粮を献じて外従五位下を授けられている。この若麻続部牛養は郡内の麻続おみ郷と関係ある人物と思われる。また平城宮跡出土木簡に「安宗」とみえ、当郡のことかと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報