十三坊塚,十三本塚,十三人塚,十三壇,十三森など地方により名称が異なるが,死者供養,境界指標,修法壇として築かれた13の列塚。この塚はほぼ全国的に分布するが,陸前,関東,尾張,筑前地方に顕著である。形態は13の塚が1列に並んだ型が最も多いが,その中に大将塚,将軍塚,法印塚などと呼ばれる群を抜く大塚が一つある場合もある。十三塚には合戦で非業の死をとげた武将とその家来12人をまつったとする伝説が伴うことが多いが,塚中からの遺物の出土はない。従来,〈十三〉の解釈を中心に,十三仏説,聖天と十二壇説,四臂不動明王と十二天説などが唱えられた。また,モンゴルの十三オボーとの関係をとく説もある。いずれにせよ,その背景にまつり手のない御霊(ごりよう)慰撫の信仰があり,築造に修験者が関係していたことが認められる。また,村境に築造され,石神,道祖神,庚申信仰など境界神の信仰と習合している例もある。
執筆者:佐野 賢治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
13人の戦死者が埋められているなどという伝説をもつ塚。岐阜県揖斐(いび)郡には、揖斐藩の者に殺された13人の大垣藩の侍を埋めたという十三塚がある。13個の塚があり、毎年2月13日に塚供養を行っている。近くの2寺が毎年交代でお経をあげ、村内では順番に宿になって皆に御馳走(ごちそう)をするという。他の十三塚の場合も、塚の数に過不足もあるが、多くは13という数で一致している。ただそのなかに他より大きい塚が一つあって、その左右に6個ずつ小塚が並んでいたり、大塚を先頭に一列になっていたり、大塚の周りを小塚が囲むようになっていたりする。十三塚の別称も多種みられる。塚の配列から生じたと思われる長塚、塚の築造に関与したのではないかと考えられる山伏塚などはその一例である。なお、大将塚という名称は、境の神と考えられる大将軍塚または将軍塚との関係で注意される。モンゴルのオボとよばれるものが峠道の十三の塚と近いことを思わせるが、現在のところ、真言宗の行法において悪霊を鎮め防ぐために設けた聖天(しょうてん)と十二天の祭壇であったという説が、もっとも説得力があるようである。
[佐々木勝]
…12は1年の月数であり,しかも3と4をかけた聖数であって暮れのミタマノメシのように供物の数としてしばしば用いられるほか,山の神を十二様とか十二山の神とよぶ地方もある。13は日本では十三仏,十三塚,十三参りなど信仰上の重要な数であり,十三(じゆうそう)という地名も各地に分布している。33は厄年や弔い上げの年忌とされ,49も忌明け,七七日(なななのか),四十九餅など葬送儀礼でよく使われる。…
…一方,祭りのために祭壇を築く習俗は古くから行われていた。十三塚は,真言系の僧,修験,行者が野外で修法を修めた場所であったことが明らかにされ,狐塚という名称をもつ塚も,本来は田の神の祭場であり,田の神の使わしめが狐であるとする信仰や,祭場にしばしば狐が出没したところから狐塚の名称が起こったとされる。祭りのために塚を築く習俗は,平地よりも一段と高い場所を祭場に当てようとする心意の表れであり,神木や高い竿・鉾を用いて神の依代(よりしろ)とする習俗と同じ心意といえる。…
※「十三塚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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