日本歴史地名大系 「甲賀町通」の解説 甲賀町通こうかまちどおり 福島県:会津若松市若松城下甲賀町通[現在地名]会津若松市追手町(おうてまち)・東栄町(ひがしさかえまち)・栄町(さかえまち)六日町(むいかまち)通の西に並び、南は本一之(ほんいちの)丁の城追手口から、北は五之(ごの)丁を過ぎて甲賀町口郭門(外追手門)に至る。長さ五町二二間余・幅一〇間。家数は化政期に二軒であったが、城からの追手通であったため、東西丁に属していた町も、家の入口は多くはこの通りに面していた(新編会津風土記)。かつては日野町(ひのまち)通とよんだ。南端東角口は「戊辰殉難西郷邸址」の大きな石碑が建つ。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報