畑岡村(読み)はたおかむら

日本歴史地名大系 「畑岡村」の解説

畑岡村
はたおかむら

[現在地名]若柳町 上畑岡かみはたおか下畑岡しもはたおか

若柳村の南西方一帯、伊豆いず沼の北岸に位置する。北は一迫の梅崎いちはさまのうめざき(現志波姫町)、南は新田につた(現登米郡迫町)。伝説によれば坂上田村麻呂が東夷征伐の際、当地に軍陣をしき旗を立てたところから旗置はたおき村と称し、のち鳩岡はとおか村となり、さらに転じたという。将軍壇しようぐんだん旗塚はたづかなどの地名のほか上畑岡に旗置八幡宮がある。また夷穴えぞあなかけ大立おおだてなどの丘陵部には蝦夷の住居と言伝えられ、夷穴と称されてきた横穴古墳群がある。近世当村は一迫に属し、幕末には北東部の上畑岡、南部の下畑岡に分れ、それぞれ肝入が置かれていた。一二迫下郷大肝入の管轄。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む