日本大百科全書(ニッポニカ) 「岩出山」の意味・わかりやすい解説
岩出山
いわでやま
宮城県北西部、玉造郡(たまつくりぐん)にあった旧町名(岩出山町(まち))。現在は大崎(おおさき)市の中西部を占める地域。1889年(明治22)町制施行。1954年(昭和29)西大崎、一栗(いちくり)、真山(まやま)の3村と合併。2006年(平成18)古川市(ふるかわし)、志田(しだ)郡松山町(まつやままち)、三本木町(さんぼんぎちょう)、鹿島台町(かしまだいまち)、玉造郡鳴子町(なるこちょう)、遠田(とおだ)郡田尻町(たじりちょう)と合併して、大崎市となった。JR陸羽東線、国道47号、457号が通じる。旧町域の北西部は丘陵、南東部は古い扇状地上にあり、中央を江合(えあい)川が南東へ流れる。戦国時代には大崎氏の重臣氏家氏が支配した。1591年(天正19)より伊達政宗(だてまさむね)が岩出山城を本拠とした。政宗の仙台移居後、1603年(慶長8)に政宗の四男宗泰(むねやす)が領主となった。江戸時代末には馬産に加え養蚕が興った。旧学問所の有備館(ゆうびかん)とその庭園は国の史跡、名勝に指定され、その裏手から内川の流れに沿って「学問の道」と名づけられた遊歩道がのびている。特産に凍豆腐(しみどうふ)、竹細工、納豆などがある。
[後藤雄二]
『『岩出山町史』(1970・岩出山町)』▽『『岩出山町史 民俗生活編』(2000・岩出山町)』