疫伏社跡(読み)やまいぶせのしやあと

日本歴史地名大系 「疫伏社跡」の解説

疫伏社跡
やまいぶせのしやあと

[現在地名]東山区祇園町北側

祇園町北側ぎおんまちきたがわ東端小堀こつぽり通に面して所在した小祠。宝暦一二年(一七六二)刊の「京町鑑」は小堀町に言及し、「其(膳所邸)南に疫伏社有」と位置を示す。宝永六年(一七〇九)京大絵図に「山伏社」、寛保初京大絵図以下に「疫伏社」とみえる。この相違を「雍州府志」は「疫伏ヤマヒフセノ社 在祇園西楼門西北、伝言祈、則免ルト時疫之疾病、故疫鬼降伏之神也、按是亦牛頭天王乎、一説元山伏ニシテ 而所浄蔵貴所也、故山伏所持法螺等之物於板面、代画馬而掲社頭、到偶残、疫伏与山伏、倭語相近、故者乎」と記し、縁起の相違による祭神呼称の混乱が江戸時代初めよりあったことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 京都

日本の株式の水準を示す、東京証券取引所第1部225銘柄の平均株価。単位は円。構成銘柄は時価総額の分布の変化などにより、適宜入れ替えられている。現在の形になったのは1985年5月からである。ダウ・ジョー...

日経平均株価の用語解説を読む