日本歴史地名大系 「疫伏社跡」の解説
疫伏社跡
やまいぶせのしやあと
[現在地名]東山区祇園町北側
祇園西楼門ノ西北
、伝言祈
此ノ神
、則免ルト
時疫之疾病
、故ニ謂フ疫鬼降伏之神也ト、按是モ亦牛頭天王乎、一説元山伏ノ宮ニシテ 而所
祭ル
浄蔵貴所ヲ
也、故ニ書リ
山伏所
持法螺等之物於板面ニ
、代テ
画馬ニ
而掲ゲ
社頭ニ
、到テ
今ニ有リ
偶残ル者ノ
、疫伏与
山伏
、倭語相近シ、故ニ誤ル
之ヲ者乎」と記し、縁起の相違による祭神・呼称の混乱が江戸時代初めよりあったことがわかる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報