松原町(読み)まつばらちよう

日本歴史地名大系 「松原町」の解説

松原町
まつばらちよう

[現在地名]東山区祇園町北側の一部

祇園石段下ぎおんいしだんしたより北、こっぽり通(現東大路通)の東に位置した町。「こつぽり町」の名が古く、祇園北門前の称もあった(坊目誌)。明治元年(一八六八)祇園町北側ぎおんまちきたがわ合併(坊目誌)。なお当町の北に続いて知恩院新門前松原町(現松原町)があり紛らわしいが、公式文書の上では明確に区別される。

町名は貞享三年(一六八六)京大絵図に「こつぽり丁 水茶屋」の記入があり、絵図類は天保二年(一八三一)改正京町絵図細見大成に至って「松原町」と記す。

松原町の名は正徳四年(一七一四)洛外町続町数小名家数改帳(荻野家文書)に「一、拾八軒 同(祇園町)松原町」とみえるのが早く、京都御役所向大概覚書は、翌五年の時点で、祇園町三町の一に松原町を数えている。


松原町
まつばらちよう

[現在地名]水口町元町もとまち

作坂つくりざか町の東、東海道を挟んだ両側町。町並は作坂町から続く傾斜地にあり、南は野洲やす川、北は古城こじよう山に続く。延宝七年地子赦免帳では居屋敷一九・明屋敷一・番屋敷一、屋敷地の間口は最大六間三尺余・最小四間二尺余で、四間ないし五間の屋敷がそろう。文久二年書上では居家一四・曳山山蔵一・床一・不明一、居家の内訳は旅籠五・商家一・百姓六・籠細工一・豆腐屋一で、山蔵の一角には夜番所があった。


松原町
まつばらちよう

[現在地名]南区西清水にししみず

大宝寺だいほうじ町の南、やなぎ町の西にあり、南北佐野屋橋さのやばし筋と東西清水町しみずまち筋の交差点を中心に東・北・南は各半町ずつ、西は炭屋すみや町境までの間。町名は明暦元年(一六五五)から確認される(南区志)。大坂三郷南組に属し、元禄一三年(一七〇〇)三郷水帳寄帳では屋敷数三六・役数三六役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。


松原町
まつばらちよう

[現在地名]滑川市松原町

北陸街道の北に位置し、北は富山湾に面する。西は猟師りようし町、南はあら町。慶安元年(一六四八)当地から称永しようえい寺が武平太ぶへいだ町に移転し、跡地は松の生茂る林になっていたが、元禄三年(一六九〇)の大火後に人家が建ち、松原町と名付けたと伝える(滑川町誌)


松原町
まつばらちよう

東山区新門前通大和大路東入四丁目

新門前通の東端。古く松並木があり、この町名がある。延宝二年(一六七四)の四方洛外町続之町々小名之覚(荻野家文書)に既にその名をみるが、正徳四年(一七一四)洛外町続町数小名家数改帳(同文書)にはわずかに四軒の家数を数える。

東が行止りで俗に袋町ともいうが、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」はこれを南北に分けて「知恩院桜馬場の北に一町辻子有袋町此町行ぬけなし」「此菊や橋の南町 七軒町一名松原町とも云」とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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