登美鎮
とみのちん
奈良時代、豊前国上毛郡に設けられた鎮営名。天平一二年(七四〇)の藤原広嗣の乱の際、大野東人が率いる追討軍は九月二二日に「登美・板
・京都三処営兵」一千七六七人を生捕りにしたという(「続日本紀」同月二四日条)。広嗣方は陥落した京都郡鎮(推定地は現京都郡内)、板櫃鎮(比定地は現北九州市小倉北区)と登美鎮を奪還するため、大宰府から兵を三手に分け、広嗣は鞍手道を進み、広嗣の弟綱手の率いる肥前・筑後の兵五千は豊後国へ進んだという(同書同年一〇月九日条)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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