福岡県南西部にある都市。1954年(昭和29)羽犬塚(はいぬづか)町と水田(みずた)、古川(ふるかわ)2村と岡山村の一部が合併して市制施行。1955年西牟田(にしむた)町と下広川(しもひろかわ)村の一部を編入。低い洪積台地と矢部川(やべがわ)の扇状地からなり、西端部は低湿なクリーク地帯で、JR九州新幹線と鹿児島本線が南北に通じ、筑後船小屋(ふなごや)駅で接続している。一方、国道209号と442号が市中心部で交差している。近くに九州自動車道八女(やめ)インターチェンジもある。主産業は稲作を中心とした農業で、台地上では茶、果樹栽培や野菜園芸、畜産などが、クリーク地帯ではイグサ栽培が盛んで、花莚(はなむしろ)、畳表加工が行われている。工業は地場産業の久留米絣(くるめがすり)をはじめ食品加工、機械、家具製造業などがあるが、全体的に小規模である。見どころとして国指定史跡の石人山古墳(せきじんざんこふん)や裏山(うらやま)遺跡、県指定無形民俗文化財の稚児風流(ちごふりゅう)や千灯明(せんとうみょう)で有名な水田天満宮と、鬼の修正会(しゅじょうえ)で有名な熊野神社などがあり、船小屋温泉は矢部川県立自然公園の中心をなす。中心集落の羽犬塚は宿場町、市場町として発達した。久富(ひさとみ)地区に伝わる「久富盆綱曳(ぼんづなひき)」は県の無形民俗文化財となっている。面積41.78平方キロメートル、人口4万8827(2020)。
[石黒正紀]
『『筑後市史』全3冊(1995~1998・筑後市)』
福岡県南部の市。1954年市制。人口4万8512(2010)。筑紫(つくし)平野の南東部を占め,北は久留米市に接する。市域の大部分は有明海に注ぐ矢部川の沖積扇状地と低い洪積台地とからなり,西端部は低湿なクリーク地帯である。中心の羽犬塚(はいぬづか)は近世,小倉から薩摩へ向かう街道の宿場町・市場町として発達し,現在はJR鹿児島本線および国道209号,442号線が通り,八女地方への玄関口ともなっている。2011年の九州新幹線鹿児島ルートの全線開通に伴い,鹿児島本線船小屋駅が筑後船小屋駅と改称して新幹線駅となる。集約的で多角的な農業と多彩な副業的伝統工業の盛んな南筑(筑後南部)農村地帯の一中心地で,国立九州農業試験場(現,独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構の九州沖縄農業研究センター筑後研究拠点)があり,また食料品,繊維,電機,機械その他の工業も発達している。広い農村部では,北部の洪積台地に茶畑や果樹園(ブドウ,ナシ)が広がり,クリーク地帯では米作およびイグサの栽培・加工(花むしろ,ござ)が行われる。特産品に久留米絣,手すき和紙,赤坂焼がある。毎年8月25日に行われる千灯明(せんとうみよう)や10月25日の稚児風流(ちごふりゆう)で知られる水田天満宮,船小屋温泉などがある。
執筆者:土井 仙吉
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…現在も福岡市を中心に,九州の政治・経済・文化の中枢の位置を占めている。
[沿革]
県域はかつての筑前・筑後両国全域,および豊前国の北半部にあたる。江戸時代末期,筑前には福岡藩と支藩の秋月藩,筑後には久留米藩と柳河藩,豊前には小倉藩(1866年長州征伐の際,藩庁を移し香春(かわら)藩,69年豊津藩と改称)と支藩の小倉新田藩(1869年千束(ちづか)藩と改称)が置かれ,そのほか飛地,天領,預地もあった。…
※「筑後」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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