百相村(読み)もまいむら

日本歴史地名大系 「百相村」の解説

百相村
もまいむら

[現在地名]高松市仏生山町ぶつしようざんちよう

北は出作しゆつさく村・太田おおた村に隣接し、南端池とまえ池に臨む。高松城下から法然ほうねん寺に向かう仏生山街道が通る。古代香川郡百相ももなみ(和名抄)の遺称地。相合とも記され「もあい」とも読む。寛永国絵図に百相郷がみえ、出作をも含む郷高は一千七九石余。寛永一七年(一六四〇)の生駒領高覚帳では一千一六石余、同一九年の小物成は綿小物成七〇匁(高松領小物成帳)。貞享高辻帳の高は四六二石余、天保郷帳では七八四石余、旧高旧領取調帳では一千一八八石余で、うち七〇〇石余が法然寺領であった。貞享高辻帳の高は法然寺領の高を含んでいなかったとみられるが、天保郷帳の高は弘化(一八四四―四八)頃が四八一石余なので(村高大小庄屋姓名覚帳)、七八四石余のうち三〇〇石ほどは同寺領と推測される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報