皆川町三丁目(読み)みながわちようさんちようめ

日本歴史地名大系 「皆川町三丁目」の解説

皆川町三丁目
みながわちようさんちようめ

[現在地名]千代田区内神田うちかんだ一丁目

皆川町二丁目の東に位置する片側町。南は同一丁目、北と東は永富ながとみ町二丁目。沿革は皆川町一丁目に同じ。公役町で、小間数は京間三七間余(安永三年小間附町鑑)。文化年間(一八〇四―一八)には御用達町人として栗本宇右衛門(蒔絵師並塗師・細工所頭支配、五〇俵二人扶持)・勝田源四郎(経師並屏風師)・安間源太夫(左官、四〇俵二人扶持)の名がみえる(武鑑)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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