皇太子密建法(読み)こうたいしみっけんほう(その他表記)Huang-tai-zi mi-jian-fa; Huang-t`ai-tzü mi-chien-fa

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「皇太子密建法」の意味・わかりやすい解説

皇太子密建法
こうたいしみっけんほう
Huang-tai-zi mi-jian-fa; Huang-t`ai-tzü mi-chien-fa

中国,清朝で施行した独自の皇位継承法。儲位密建法ともいう。雍正1 (1723) 年8月制定。皇帝が皇位継承者としての皇子名を記した文書を箱に入れて密封し,乾清宮の玉座の背後にかかる順治帝親筆の「正大光明」と記した額の裏に収蔵させ,皇帝は皇太子を定めるが事前に公表せず,皇帝臨終の際に開封して記載に従い皇位を継承させたもの。康煕帝が早く皇太子を立て,その結果,皇太子をめぐる党派争いが激化して失敗したが,その争いのなかから皇帝位についた雍正帝はこの方法をとり,立太子制をとらなかった。

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