日本歴史地名大系 「皮合村」の解説 皮合村こうごむら 福井県:勝山市皮合村[現在地名]勝山市北谷(きただに)町河合(こうご)滝波(たきなみ)川と、その支流奥河内(おくのこうち)川の合流点に位置し、谷(たに)峠・小原(おはら)峠を経て加賀に至る交通の要地。村名は天正一九年(一五九一)の「三村ひゑわり」(斎藤家文書)にみえる。七山家(ななやまが)の一村で、村人は一向一揆に参加し、斎藤甚右衛門家の祖は一揆の指導者と伝える。天正二年の平泉(へいせん)寺攻撃や同五年の柴田監物(義宣)との戦いには一揆の中心として活躍したという。村には当時を物語る鉄砲立(てつぽうだて)・殿切原(とのきりばら)の字名や柴田監物墓がある。墓は五輪の石塔で、「柴田一族 勝山主人 諱名監物 名来義宣 天正初五 此地出陣 忽中鉄炮 云々」の銘がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報