益田豊彦(読み)マスダ トヨヒコ

20世紀日本人名事典 「益田豊彦」の解説

益田 豊彦
マスダ トヨヒコ

昭和期のジャーナリスト 朝日新聞取締役。



生年
明治33(1900)年5月22日

没年
昭和49(1974)年7月11日

出生地
福岡県

学歴〔年〕
東京帝国大学法学部政治学科〔大正13年〕卒

経歴
高松高商講師を経て、同教授となったが、大正15年労働農民党結成に参加、同党調査部長に転じた。しかし当局の弾圧が激しく、昭和6年ベルリンへ留学。7年朝日新聞ベルリン通信員に採用され、9年朝日新聞社入社。大阪本社経済部長、東京本社東亜部長から20年ジャワ新聞社長。戦後23年東京本社論説委員室副主幹、25年西部本社編集局長、27年大阪本社編集局長、同年役員待遇、29年中部支社長、同年6月取締役を歴任し、40年退任。42年国策パルプ取締役、のち監査役、山陽国策パルプ顧問などを務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「益田豊彦」の解説

益田豊彦 ますだ-とよひこ

1900-1974 昭和時代新聞記者経営者
明治33年5月22日生まれ。高松高商教授,労働農民党調査部長をへて,昭和7年朝日新聞にはいる。大阪本社経済部長,東京本社東亜部長となり,戦後,大阪本社編集局長,大阪・東京両本社代表などを歴任。昭和49年7月11日死去。74歳。福岡県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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