目磨村・九折原村(読み)めとぎむら・つづらのばるむら

日本歴史地名大系 「目磨村・九折原村」の解説

目磨村・九折原村
めとぎむら・つづらのばるむら

[現在地名]砥用町境(さかい)

東に大窪(おおくぼ)・舞鹿野(もうかの)・早楠(はやくす)村、西に今(いま)村・坂貫(さかぬき)村、北に岩尾野(いわおの)村があり、南は八代郡五箇庄仁田尾(ごかのしようにたお)村(現泉村)へ至る。起伏に富む南北に細長い地形である。慶長六年(一六〇一)一一月一七日の門刀屋(カ)某宛加藤清正黒印状(熊本本妙寺文書)によると「目時村」一二六石三斗が宛行われている。慶長国絵図に村名がみえ、正保郷帳によると九折原を含んだ高一二一石七斗余、うち田方七九石一斗余・畠方四二石六斗余。砥用手永に属し、「国誌」に「幕村桐原村鶴村九折原村等ノ小村アリ」と記す。九折原村は目磨村の南部、「国誌」には小村として記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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