大窪(読み)おおくぼ

日本歴史地名大系 「大窪」の解説

大窪
おおくぼ

中世の伊集いじゆう院内の地名。現松元町石谷いしだにの小地名大久保おおくぼが遺称地とされる。文永六年(一二六九)三月日の僧慶西・紀時道連署譲状(町田氏正統系譜)によれば、紀姓伊集院一族の慶西(時村)が嫡子紀時道の連署も得て、子孫「せうかう」に相伝所領で石谷の総社熊野権現の敷地でもある大窪の田畠を譲っている。大窪の内に穴湯前あなゆまえ三反・「くわんしや」田三反・五月さつき田一反余・世戸口せとぐち一反余・伴三仁三郎耕作田一反余・中牟多なかむた田二反余と菊房屋敷きくぼうやしき園・自分ゐ園など三ヵ園があった。また熊野権現の座主職も「せうかう」の沙汰となった。同九年に慶西の妻成阿弥陀仏が大窪の公事(大宰府上番役か)勤仕を兵衛太郎(税所義祐か)に委嘱したが、不都合により公事は「殿」(比志島時範か)にゆだねられた(同一一年一二月一日「成阿弥陀仏書状」山田文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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