目賀田村(読み)めかだむら

日本歴史地名大系 「目賀田村」の解説

目賀田村
めかだむら

[現在地名]秦荘町目加田めかだ

西出にしで村の西に位置し、南東南安孫子みなみあびこ村。岩倉いわくら川が南部を流れる。史料上は目加田とも。「蓮成院記録」延徳三年(一四九一)九月条に「目賀田めかた」と記される。天正一九年(一五九一)五月の愛知郡蔵入目録(芦浦観音寺文書)に「めかた村」一千五四九石余とある。文禄二年(一五九三)一〇月二五日の江州蔵入目録(書上古文書)に「愛智郡目賀田村」とみえ、一千五四九石余を新庄東玉が豊臣氏蔵入地として支配。慶長五年(一六〇〇)彦根藩領となり、慶長高辻帳では目加田村一千五四九石余。うち九〇石余は彦根藩家臣閑野源左衛門の給地で、慶安四年(一六五一)・明暦二年(一六五六)の年貢皆済請取状(田中文書)があり、明暦二年では物成三六石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む