相沢屋敷(読み)あいざわやしき

日本歴史地名大系 「相沢屋敷」の解説

相沢屋敷
あいざわやしき

天正一四年(一五八六)三月一二日、関戸せきど郷の所務を有山源右衛門以下六名に預け置いた松田憲秀朱印状写(武州文書)にみえる。旧関戸村集落の中心部に構えられていた関戸村名主相沢氏の旧宅(現関戸五丁目)に比定される。相沢屋敷の北辺が関戸に設けられた関所の北木戸に想定されているが、遺構は発見されていない。相沢屋敷に比定される民家の庭先には安保道忍の墓と称される塚がある。安保道忍は元弘三年(一三三三)五月一五日・一六日の関戸での合戦で戦死した幕府方の将で、金地院本系「太平記」では道忍、他の「太平記」諸本では道堪、「梅松論」では道潭と記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報